シンチャオ!!
今回はベトナム紹介ではなく、『勝手に自伝』として自分のことをご紹介。
大学入学から現在までどうやって海外で働くことになったのかを話していきたいと思います。
需要0と思いますが、書いてたら止まらなくなったので載せます。
かなり長くなったので小分けにして今回は『大学時代編』です。
いざ入学
私の大学はいわゆる底辺?大学と言われるような大学で偏差値45くらいの大学でした。理系大学にありがちなある分野ではかなり有名でも偏差値でみては、、、なところが多いですよね??そう自分に言い聞かしてます(笑)。
高校では部活動がかなり厳しく受験勉強の時間もなかったです(言い訳)。そんなこんなで猛勉強もせずに推薦でぱっと決まった大学です。
キャンパスライフ
いざ入学してみると工業大学ということもあり男だらけ、、、、毎日結構授業が多く、『オレンジデイズ』のような夢のキャンパスライフは当然ながら待っていませんでした。。
文系理系で分けるのは個人的に好きではないのですが、やはり高校の友達とは大学になると遊びを断る回数はかなり増えてしまいます。一番つらかったのが夏休み、、文系の友達は既に夏休みに入って夏の音楽フェスに行ったりエンジョイしている中、ちょうどその時期は学期末?テスト期間の真っ最中で毎年夏のフェスには行けませんでした。。泣
バイト
大学生と言えばやっぱりバイト!!なのですが、私は継続的なバイトはしていませんでした。バイト面接は何回か渡来したのですが、希望出勤日数が少なすぎるとよく落ちてました。バイトばかりして単位を落として留年したらその分学費もかかるという考えだったのでそこまでバイトは執着してませんでした。もちろんバイトもして学業もちゃんとしている人もいるので一概には言えないですが、実際バイトが大変すぎて授業に出席できずに留年している人を数多く見てきました。
平日は課題のために図書館に残る日が多かったので、土日の単発バイトをよくしてました。派遣バイト会社は3社ぐらい登録してたと思います。私はライブスタッフ、宅急便倉庫の仕分けの派遣バイトをよくやっていました。まぁあ飽き性な私にとっては毎回仕事内容が変わる派遣バイトの方が合ってたかなと思います。
そんな派遣バイトで印象に残っていることがありました。
バイトでの印象的な出来事
ある外資系のショーのバイトスタッフをした時、バイトスタッフマネージャーが外国人の方でした!!
高校生や大学生ばかりのバイト集団だったので、英語で支持されてもチンプンカンプン。私がその時ほんの少し英語がつわかると認識されたのか、その外国人マネージャーにリーダーに指名されてしまい色々な指示が私に振ってくるようになりました。当然私もわかるはずもなかったので色々と聞き返しまくりました。
そんなことがあってかバイト終了時にはマネージャーと親しくなり、英語って大事なんだな、英語できたら世界広がるんやなっと思わされた経験でした。
今思えばリーダーだから日給上げろ!と言えばよかった笑
奨学金第一種
週末に時々派遣バイトをしていましたが、大学の後半から家庭の事情もあり奨学金を借りることになりました。
奨学金には一種(無利子)二種(有利子)があり当然皆さん第一種を欲しいわけですが、大学毎に一種の数は決まっているようで成績が良くないと私立大学では第一種は厳しい感じでした。幸い私は一種だったのですが、圧倒的に二種の方の方が多かったです。
大学院の時も奨学金を借りてました。国立だからか一種の数が多いのか奨学金を借りている方はみんな一種でした。
留年する人多し
授業や課題をこなす毎日で比較的真面目にやってたこともあり留年はしませんでした。理系大学では結構な確率で留年する人がいます。私の大学では4~5人に1人は留年してました。やる気ないって人も多かったけど。
大学2年から3年に上がるときが一番厳しくよく一緒にいた私の友達グループの5人に2人は留年してしまいました。
そんなこんなで『この大学で落ちぶれたら本当に終わりだぞ自分』と思っていたので学年順位も200人中20位くらいにはなってました。ここに行きたいという研究室があり、研究室決めもGPA(成績)順だったので成績とかは結構気にしていました。
研究室生活スタート
無事行きたかった研究室にも入れて研究生活がスタートしました。私の研究テーマは生物工学系でした。
研究テーマはなんとあの日本で一番有名な〇〇薬品との共同研究でした。大学生時の私は研究者に憧れを持っていたので、実際の一流の企業研究者と研究できることになり胸が躍ったのを今でも覚えています。
結果的に研究自体はあまり上手くいきませんでした。今思うとたった1年ほどの研究で何を言っているんだって話ですが、その時は結構悔しかったです。
共同研究先の研究者との出会い
共同研究が始まり共同研究先の研究者ともお会いする機会が増えました。その方は世間が思う研究者のイメージとは真逆でかなり気さくでよく飲みに連れてってくれました。とはいってもやはり1流の研究者で頭の切れがよく完全に私の憧れの人となりました。
後述するように私の院進学も決まり、大学卒業が近づいたころ、会社からこの方の研究している部署が来年度から廃止になると告げられ、この方もそれに伴い転職をするということになりました。海外ポスドクを経験しており、さらっと世界トップの化学品メーカーに転職が決まりました。日本での就職ではなくアメリカ本社での就職で、こんな優秀な方が研究者として日本ではやっていけないのなら私も無理だと思ったことを痛烈に記憶しています。
そして会社はやはり営利組織で自分の好きな研究ができるわけでもなく、上から転属を言われれば研究職ではなくなるんだと。。。
この話は私にとって結構印象的で、研究者にならない人生もあるのかと海外で就職もあるのかと思わされたエピソードです。
就活?院進学?内部?外部?進学?
理系の院進学率は結構高く、生徒の20%ほどは大学院に進学すると思います。
人生の三大支出のひとつである教育費。子どもが小さいうちから、お金を貯めている方も多いのでは?近年は、リケジョブームや就職…
そんな私もその一人で大学院には行こうとは思っていました。しかしいつかは就活するのだからと思いみんなの流れに合わせて就活も経験しました。
ビックサイトで行われた合同説明会にも参加したがいまいちパッとせず。ただ会社の自慢話を聞いているだけって感じがしてしまい、慣れない革靴にただただ鞄に吸い込まれていくパンフレット、、、疲れただけでした。
今思えば『きちんと私は就活している』という自己満足が欲しかっただけなのかもしれません。
院進学を迷っている方がいれば、就活はしてみた方がいいと私は思います。私は学部生の時に就活してみて「働くイメージつかない。自分が何したいのかまだわからない」と思ったのも院進学を決めた要因の一つです。
もちろん絶対院進学するって人は就活せずに自分の研究を頑張って欲しいです。
外部の大学院進学決意
私は在籍していた大学の院進学(内部進学)ではなく、他の大学の院に進学(外部進学)を決意しました。
- 研究したいテーマが見つかった
- 私立は金かかる
- より成長できるところ
大学院の説明会などにも積極的に参加しました。日本で1番とされる大学や2番とされる大学などにも(院入学は学部よりも比較的簡単なので、、)
大学は推薦でパッと決めてしまったので、あまり意識していませんでしたが大学によってかなり色が違うことを改めて感じました。もちろん同じ大学でも研究室毎でもかなり違います。院入学は学校名ではなく研究室で決めるのが鉄則です。研究室に入学するイメージです。もちろん学歴ロンダリングを狙って学校名で院入学する人もいるようですが。
色々な研究室を回ってどこの有名な教授とはいいませんが、私の大学名を出すと途端に話のテンションを下げる方もいました。こんな大学の奴に話しても無駄って感じで泣。
院試受験勉強と入試
私が希望していた院は大学院大学というちょっと特殊な学校でした。学部のない大学で学生も院生しかいない大学です。学校も特殊ながら入試も特殊でした。基本的に面接での口頭発表スタイルで机上での長々とした試験は無かった。
- 研究テーマ質疑応答
- 生物基本テスト
- 英語訳口頭発表
研究テーマ質疑応答
あらかじめ自分の研究テーマをA4 1枚にまとめて提出。それに基づいて面接時に3人の教授から質疑応答。
子供のころは長い文書を書くのが大変だったが、大人になると文書を短くする方が大変。ここは比較的厳しい研究室でまじめにやっていたこともあり無難に終了。
生物基本テスト
エッセンシャル生物学という分厚い教科書から問題が出題される。
実際の入試は10問の穴埋めで、面接前にその問題を解き面接時に回答を発表。面接官の教授陣になんでそう思ったのかという説明が大変だった。
英語訳口頭発表
これが鬼門だった。。。当時の私はTOEIC400未満、、、
問題の英文は有名な論文の一文から出題され計3つの文を面接時に口頭で発表する。
問題が出題されてわからない単語だらけで『終わった、、、』と思いながら面接時に『分からない単語が3つほどあり、訳せませんでした』と回答。。もう落ちたと思ったのでやけっぱじでした。
そしたら一人の面接官の教授が『どこがわからない?単語訳教えるから訳してみて』と、、、
実際にはもっとわからない単語はあったが強がって3つと言ってしまったので、3つの訳を教えてもらった。。救いの手が出たのはいいものの、単語訳を教えてもらえるとは思ってなく訳すのをあきらめてた私はあせって訳を発表。
教授陣苦笑い。。。今でもこの風景が目に焼き付いている。
後日無事入学した後に訳を教えてくれた教授に『あの時は本当にありがとうございました』と伝えると『あーあれ君か!覚えてるよ!無茶苦茶な訳してたから』と言われ『英語もっと頑張れよな』とお酒を交わしながら話してくれました。(私の大学院では教授との距離が近く別の研究室の教授でもお酒を飲む機会も多くありました。日本の一般的な大学では考えられません。)
無事?合格
こんなダメダメな入試でしたが無事合格することができました。
学部生の時に配属していた教授に『外部の大学院に合格してそこに行きます』と言ったところ、無茶無茶嫌そうな感じだったのですが、結果認めてくれて祝開放。まぁあ認められなくても勝手に行ってましたが。
総括
勝手に自伝の大学時代編を書いてみましたが、書いてみると色々と思いだす思い出す。昔はこんなこと思ってたなとか振り返ることができたので楽しかったです。需要は全くないですが笑
今思えば学部生の研究はお試し感が強かったですが、当時の私としては『未知をこの手で!!』とかなりわくわく期待してました。それはそれでよかったと思っています。
次はいよいよ大学院入学編。いつ書くのやらこの自己満自伝。